きっかけバスの女の子たちも楽しそうに御輿を担いでいた。
福島の人たちから高校生か?と言われていたが大学生の女の子たち。
彼女たちも何かできることは!?と手を上げたとってもいい子たちだった。
御輿を担いでる風?
楽しかった助っ人神輿も時間の関係上午前で引き上げて神社に戻ってきた。
なんとも言えない達成感。
記念撮影で忙しいプリッケツのなっちを激写。笑
カメラ二台を下げての同行お疲れ様でやんした!
そしてアタシたちは薄磯へと向かった。
津波の被害がどれほどだったかが今でもはっきりわかる現状に
言葉を失いそうになった。
中学校の時計はあの時のままで止まっていた。
流された家、壊れた堤防。壁を乗り越えて流れ込んだ海岸の砂。
皆でその地区の人達とBBQをしようと準備を始めた。
そして気づく。若い人がいない。
私達が来るのを楽しみにして待っててくれた区長さん。
穏やかで優しかった。
うちにあるものはなんでも使えばいいからね!と優しいお母さん。
お母さんには雲丹ご飯を作ってもらった。美味しかったー!
ぽつりぽつりと当時のことを話す皆さんに話を聞いて
どれほどの時間が経っても失われた命や被害の大きさに
ただただ頷くことしか出来なかった。
それでもみんな真っ直ぐ前を向いて生きていた。この地で。
富岡駅周辺へと向かって壊れたままの姿を目の当たりにした。
涙が出て仕方がなかった。
多くの助かった人たちは家を失い疎開している。
比較的除染がされているとのことだったけどそれでも国の基準値を超えている。
放射線濃度を測りながら向かったけれど
目に見えないことの怖さを感じながら、この地で暮らす人のこと、子どもたちのことを思うと
やるせなさでいっぱいになった。
国の発表との温度差を肌で感じ
この状況をもっと皆が直に知るべきなんじゃないのかと
深く深く考えさせられた福島での短い時間。
何かできることはないかと向かった先での現状。
そして逆にこっちが元気をもらって帰ってきた。
命あるということ、生きるということについてもう一度考えさせられたような気がする。
明日は何があるかわからない。
だからこそ悔いのない生き方をしなければいけない。
与えられた命と向き合って、日々の感謝を忘れずに生きていかねばならないのだ。
アタシはきっとまた、この地を訪れたい。
またあの人達の笑顔に会いたい。
また、会いに行きます。