ふと立ち寄った本屋。
時々やけに活字が欲しくなる。
忙しい時に特にそんなふうに思うらしく
読みたい本があるわけでもなく
ふらふらと歩きまわり
思わず手にとった本がコレ。
まほろ駅前多田便利軒という本の帯に惹かれて。
「誰かに必要とされるってことは、誰かの希望になるってことだ」いわゆる帯買い。笑
けして瑛太と松田龍平に惹かれたわけではない。(言い訳がましいな)
あとで気がついたことにこの本別冊文藝春秋で連載されていて
直木賞受賞した作品だった。
4月23日には全国公開されて映画化も決まってた。いえーい。
まほろ市の駅前に位置する便利屋、「
多田便利軒」。
その経営者である多田啓介、そして彼の元へ転がり込んできた同級生の行天春彦。
二人の下へ舞い込んでくる、どこか奇妙で、きな臭い依頼に係わっていくうちに
さまざまな人間模様が見えていく。痛快便利屋物語。
久々に一気に読みたくなる本だった。
睡眠時間を削ってでも読みすすめた。
伊坂ワールドを彷彿させるのは
映像化したくなる実に魅力的な登場人物たち。
またもや勝手にディレクションしたくなるアタシがいた。笑
三浦しをんの作品は初めてだった。
どこか世の中を穿った見方をしているかのような感じでもあるのに
その文体には何故か希望が見える。
自分をほったらかす両親を恨む小学生と便利屋 多田のやりとりにドキリとする。
フランダースの犬をハッピーエンドだと思うかと訪ねる。
小学生 由良(ゆら)は「思わないよ」と答え結末が死んでしまって終わることを指すのだ。
多田は「死んだら全部終わりだからな」と言うと
「生きてればやり直せるって言いたいの?」とこれまた可愛くない発言。
「いや、やり直せることなんかほとんどない」と話す大人。
「だけど、まだ誰かを愛するチャンスはある。与えられなかったものを
今度はちゃんと望んだ形で、おまえは新しく誰かに与えることができるんだ。
そのチャンスは残されてる」と相手がたとえ小学生だとしてもまっすぐに話す。
小指を裁断機で過って落とした行天が
「傷はふさがってるでしょ、確かに小指だけいつもほかの指よりちょっと冷たいけど
こすってればじきに温もってくる。すべてが元通りとはいかなくても
修復することはできる」と言う。
「不幸だけど満足ってことはあっても、後悔しながら幸福だということはない」
いや〜実に深い。深いねぇ。
短篇集のような話はどこかしらつながっていて
読み飽きさせない。
誰もが切り離された冷たい部分をたくさん抱えて生きている。
それでも希望を失わない。
失ったものが完全に戻ってくることはなく
得たと思った瞬間には記憶になってしまうのだとしても
ちょっと不幸でも生き方に満足している者にとっては
自分がいるそこが「まほろば」になる得る。
大事なのは「そこ」なのだ。
そんな心に傷を持ち、それでも出会った人たちを放っておけない
多田と行天という便利屋は「必要」とされ、希望になっていた。
幸福は再生する形を変えさまざまな形でそれを求める人たちのところへ何度でもそっと訪れてくるのだ。音楽・主題歌がくるり(岸田繁)で、監督が大森南朋の兄
そしてキャストも瑛太・松田龍平・大森南朋と来たら行くしかない!と思ってたら
金沢ではまだ公開予定がない。がっくし。。
◇まほろ駅前多田便利軒◇ 出来れば小説のほうを先に読んでほしいなぁ。
んでもって映画を映画館で見るって言うのがオススメ。笑
◇まほろ駅前多田便利軒 公式サイト◇←(click!)
読み終えたあとアタシの中で蓋をしてたキモチに
ちょっと出口が見えた
そんな気になった本。
是非とも映像化されたこの作品が
幸福の再生ってこういうことかってのを改めて確認してみたい。